「ランドリー」/赤い公園

『ランドリーで漂白を』収録曲。このアルバムで個人的にこれが一番好き。歌詞はほぼ聴き取れなかったけど、音楽的にすごい良くてリピートして聴きまくってた。前に書いた記事(「津野米咲さんへの手紙」)の脚注で言及したけど、いろいろ勘違いしてたことがわかり、そこで大きな発見をした。めちゃくちゃ重要なこと。

 

その問題の脚注から。

津野はけっこう韻を踏む人で、「ランドリー」の”はいはいしたらちっとも進まない”と”解体したら実家に戻れない”の韻の踏み方はやばい。そのあと”残堀川辿っておじいちゃんのカントリーの歌”って歌詞も斬新でビビった。というか「残堀川」って響きがすごい。ちなみに残堀川を辿ると福生であり、「おじいちゃん」は米軍キャンプの近くでアメリカン・ミュージックを浴びて過ごしていたのだろう。アメリカのだけでなく、その時代はミュージシャンが福生に移住したりしてたはずだ。2回目に立川を訪れたとき、残堀川を辿ったけど、夜で寒いし、郊外が本気出してきて負けて途中で挫折した。

 グーグルマップを見たら残堀川を辿っても福生には着かない。これは自転車で走りながら電池10%切るなかで位置情報をオンにすると電池が切れるから、一瞬だけオフからオンにした。で、マップを見たとき「え、福生に近くなってる」と思って、ついそのまま残堀川を辿れば福生だと勘違いしたのである。

正確には箱根ヶ崎駅らへんにつく(行ったことないけど)。ゆえに歌詞の中の”実家”とはおそらく福生ではない。

お父さんと一緒に住んでいた。古めのアメリカンハウスで5LDKくらいの大きい家。グランドピアノやギター、ベース、アンプ、時には生ドラムもあった。上の兄がギターで、下の兄がドラム、父がベース、母がピアノを弾いてセッションをしていて、私は何もできなかったからリコーダーを吹いていた(カスタネットを叩いてた、と語っていることも

 平屋だったとも発言していたらしい。これを知って自分は「福生 アメリカンハウス」でググったのだが、昔の名残りとして残されている一件の青いアメリカンハウスしかヒットしない(ところでいろいろ勘違いを招きそうだから書いておくと、自分は彼女の実家を探し回っていたわけではない)*1

だから彼女の実家はもう跡形もなくなったんだなあと思っていたのだけど。3回目に立川に行ったとき、夕飯を食べながらふと「立川 アメリカンハウス」でググった。すると「アメリカ村」に関する検索結果がたくさんでできた。そしてあるコラムに衝撃の言葉がさらっと書かれていたのだ。

立川基地は確かに存在したはずだが、かつての遺構を探すのは難しい。基地が返還された1977年まで栄えていたランドリーゲート付近も現在では地図を片手に歩かないと見つけることができない。既に実体が無くなっているので、かろうじて横断歩道だけがゲートがあったことを示唆しているくらいだ。
 そんな中でアメリカ村は「村」として奇跡的に残っている地域といえる。返還前後に日本人がアメリカと解け合った希有な場所。そこに移り住んだ人々は定住の場所としてではなく、異文化を享受するための一過性の場所としてそこでの時間を謳歌したのであろう。そして、そこを卒業していった。

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ランドリーゲート

アメリカ村(立川市)−建築家・酒井哲のコラム

自分が、そしておそらくみんなが謎に思っていた”ランドリー”はこの「ランドリーゲート」のことだろう。そうすると「ランドリー」という曲の歌詞の意味が一気に理解可能になる。以下いろいろ解釈して行くが、これは唯一絶対のものではない。みんなそれぞれの解釈があるのが普通だし、それが良い歌詞の条件だと思う。

はいはいしたらちっとも進まない
腑抜け顔を洗って
凍てつくランドリーの前
とっとと行きな
今夜だけなら逃しちゃって

www.youtube.com

「コインランドリー」と「ランドリーゲート」をかけている。冬のコインランドリーで洗濯をしているのかと思っていたが(それも意味しているだろうが)、上記のことを理解したあと聴きなおすと、凍てつくランドリーゲートの前で立ち尽くしている津野の姿が浮かぶ。なぜ彼女はランドリーゲートの前で”とっとと行きな”と自分に言っているのだろうか。コラムにあるように随分前からランドリーゲートは跡形もなく取り壊されているから存在していない。どうやら「ランドリーゲート」というバス停が1998年・冬まであったらしいが、それも「富士見通り」に変わったらしい。

そっとポッケを鍵でやぶってみたいな
お口になって酸素を吸ってくれるでしょう

気をつけ
ブザーは鳴りません
どっちの柱に着いても結構

 わけがわからない歌詞だ。

とりあえず”鍵”と”ブザー”と”どっちの柱”に注目してみる考えていく。

ところでランドリーゲートをグーグルで検索すると、古いブログにわずかに痕迹が残されていた。そこでこんな写真を見つけた。

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ランドリーゲートにかつてあった二本の柱

米軍立川基地の残骸より。おそらく2000年くらいに書かれたもの。上の写真はかつてあった「ランドリーゲート」というバス停である。そこには二本の柱があるのだ。おそらくこの角度だと二本とも映り込むのだが、他のブログで見つけた正面からの写真では一本しか写ってなかった。

 ではこの”どっちの柱に着いてもけっこう”はこの柱なのだろうか。おそらくそうである。しかしそれだけではない。

 

ところで彼女が中1のとき、彼女の両親は離婚している。

 彼女は母親と暮らし始める。母親側に”つく”。父親と母親という二本柱の”どっちの柱に着いてもけっこう”と言われたが、母親を選択した(もちろん彼女の一存ではなかったはずだろうけど)。彼女はあの二本の柱の風景が幼い頃から焼き付いていたのだろう。そしてその二本の柱と父と母の二本の柱をかけているのだ。

 

じつはこのランドリーゲートについて歌った曲がもう一つ存在する。jpop界の大スター、松任谷由実である。「LAUNDRY-GATEの想(おも)い出」という曲だ。この曲について書かれた記事から少し引用する*2

この歌の詞は、自分が思春期に一緒に遊んでいた少女との想い出がテーマだ。

 歌詞から察するに、少女は基地内に住む米軍関係者の娘。歌詞の語り手の女性はこの少女にジミヘンのレコードを借りたり、誕生日に口紅をもらったりする。

 少女はやがて故郷へと帰る。見送る約束を寝過ごした淡い後悔。彼女がいなくなってランドリー・ゲイトはなぜか寂れてしまった-と歌は結ばれる。

 結論から言えば、歌詞に出てくるランドリーとは米空軍立川基地(東京都立川市)の中にあった巨大な軍用洗濯工場のことだ。

追想のランドリー・ゲイト|【西日本新聞ニュース】

 昔あの辺りには米軍基地があった。そこに隣接するアメリカ村にはたくさんのミュージシャンが住んでいた。津野の祖父や父親もその一人だったのだろう。しかし離婚を機にそのアメリカンハウスを彼女は出ていくことになる。父親がそこに住み続けたかは定かではではないが、『ランドリーで漂白を』の時点ではもういなかったはずだ。”解体したら実家に戻れない”と書いているのだから。

ここまできて、”鍵”と”ブザー”の意味が分かる。

おそらくこの”鍵”は実家の鍵のことだ。”鍵”を津野が中1以降も実際に持っていたかはわからない。

そっとポッケを鍵でやぶってみたいな
お口になって酸素を吸ってくれるでしょう

これは何を意味しているのか。おそらくこうだ。

彼女は引っ越しても、あのアメリカンハウスの楽しい日々、一家団欒の日々を忘れられないでいる。だからいつもあの家の”鍵”を”ポッケ”に入れている。しかし、その日々は終わってしまい、戻ることはできない。冷凍保存された”凍てつく”思い出たちが彼女を息苦しくさせる。だから思い出が詰まった”ポッケ”に穴を開けて空気を入れて”酸素”を吸い込もうとする。忘れようとしているわけでない、思い出に密閉されて息苦しくなるのを避けているのだ。

気をつけ
ブザーは鳴りません

では”ブザー”は何か。これは二通りに取れる。

一つは玄関のブザー(ブザーってこの意味あるよね?)。

父親も家を出てしまったなら、その家を使ってる人はいない(どうやら景観のために芝生が何センチ以上だと罰則が科されるほどアメリカ村は厳しいところらしく、そんなに人がたくさん住んでるわけではないらしい)。

津野が一人、昔の家を尋ねる。しかし誰も住んでいないその家には電気が通っていない。だからブザーを押しても鳴ることはない。

もう一つは防犯ブザーのことであろう(おそらくこっちが正しい)。

どういうことか。離婚で離れ離れになったとしても、津野は父親にとって大事な娘である。

防犯ブザーが鳴るのはどんな時か。泥棒などの侵入者が入ってきた時である。つまり赤の他人が家に入ってきたらブザーは鳴る。離れ離れになり、距離が出来てしまっても、私はまだ他人じゃないよね(”ブザーは鳴りません”)、といっているのだ。

ちょっとやそっとじゃうたない電報

 しかし毎日顔を合わせていた昔ほどの気軽さはもうない。だから”ちょっとやそっとじゃ”電報は打たないが、大事なときはちゃんと連絡するのだろう。離婚しようが、父親はいつまでも彼女にとってのたった一人の、かけがえのない父親だからだ。

解体したら実家に戻れない
残堀川辿って
おじいちゃんのカントリーの歌
天に召されたい
ぱっと気がつく出来た女

 「ランドリー」発売時点ではまだギリギリ解体されていないと思われる。しかし、解体される日も近いようにもとれる。そこで津野は残堀川を辿りながら、アメリカ村で過ごしてきた父方の系譜を辿って行く。おそらくジム・オルークの『ユリイカ』を聴きながら。

読みづらいけど、

「ジムさんのユリイカは朝方に聴くと天に召される名曲です。私が天に召されるときはユリイカ聴きたいです。ユリイカと一緒がいいです。」

と書いてある。発売直前だから、ちゃんと書くとすぐバレるから、こんな風に書いたのだろう。

 

悲惨な戦争を経て、戦後日本には米軍基地という負の遺産が残ることになる。しかし悪い事ばかりではない。そこはアメリカ文化と日本人が生で触れる唯一の場所でもある。実際たくさんの音楽や文学(『限りなく透明に近いブルー』とか)が生まれた。そんな立川米軍基地はもう跡形もない(今は昭和記念公園*3

津野米咲が祖父や父親から引き継いだのは音楽だけではない。激動の戦後の時代、20年ちょっとだけ存在した立川米軍基地。そのとなりにあったアメリカ村という、かつての敵国同士が交差した場所で、そこにしか存在しない文化や空気に触れながら彼女は育った。しかしその実家ももう取り壊されようとしている。ランドリーゲートはわずかな痕跡を残すだけある。バス停の名前も変わってしまった。

そんなとき”できた女”津野米咲は”ぱっと気がつく”。

残堀川*4、つまりところどころ水が枯れてしまい掘りだけが残っている川を辿りながら、そして自分の消えゆく父方の系譜を辿りながら、ふと、米軍基地のそばで暮らしていた”おじいちゃんのカントリーの歌”とアメリカで育ったジム・オルークの「ユリイカ」のあいだで、日米の歴史と音楽の小さな川が交わるのを、冬のまばゆい朝日のなかにおぼろげに幻視する*5

 

そして最後。

はいはいしたらちっとも進まない
腑抜け顔を洗って
凍てつくランドリーの前
とっとと行きな
今夜だけなら逃しちゃって

 いつまでも過去に囚われていたら、前に進めない。”はいはい”では遅すぎる。”腑抜け顔”を洗ってシャキッとしろよ、と自分に言い聞かせる。

 ”とっとと行きな”、でも今夜だけは見逃してよ。

 

そんなことを、20歳の津野米咲はあの凍てつくランドリーゲートの前で、フェンスで覆われ二度と入ることはできない、消えゆく行き止まりの場所で一人考えていたのだろうか。


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おそらく米軍のランドリーがあったところ

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アメリカンハウス

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少し別荘のようだ

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しかし古い家もまだ残っていた

 

www.youtube.com


 

*1:自分は普段ヒップホップが好きで、montana joe carterのdirtyに出てくるこのアメリカンビレッジがもともと気になっていたのだ。勝手なイメージで福生だと思ってたけど。そしてなんと彼は津野の同級生らしい。f:id:koennikki:20201213120038j:plain

 

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*2:彼女は『ランドリーで漂白を』発売前にこんなツイートをしている。https://twitter.com/kome_suck/status/163011706371571712

*3:限りなく透明に近いブルー』は福生

*4:アメリカンハウスの最寄りの駅は武蔵砂川である。そもそも立川市はもともと砂川村と柴崎村であったらしい。なぜ砂川かというと残堀川の水量が少なく、それが「砂の川」にみえたからみたいだ。この砂川という地名、自転車で何回も通って覚えてたが、あの「砂川闘争」の砂川であると調べていて気付いた。ググったら「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」の名文句が出てきた(前にこれなんかで読んだ、1968関連だと思う。他にも坂本龍一村上龍が砂川闘争で「赤とんぼ」が歌われて、シールズの国会前では何か他のを歌ってたことに言及してた記憶がある)。津野は「くい」においてこの「杭」をサンプリングしてる気がしないでもない。

*5:これおそらくリズムとかメロディーとかなんだろうけど、お祖父様の音楽を聴くことができないから、詳細は踏み込めない。