「透明」/赤い公園
我田引水であるかは読者の判断に任せる。説得的に書こうとすると長くなりすぎるからだ。自分的には、かなりカチッとした論理で津野は色々やっている印象。
“色を塗るよ
ぼくの手に
このままじゃ、ああ”(「透明」)
“色を塗るよ
きみの手に
このままで、ああ”(「透明」)
『透明なのか、黒なのか』、『ランドリーで漂白を』からすぐに思いつくのは、漂白される必要があるのは、黒であるということだ。
とりあえず“ぼく”=津野米咲を黒として話を進める。
津野が黒の場合、色を塗るとどんどん黒くなってしまう。ゆえに”このままじゃ”、となる。
しかし、“きみ”=つのごうじが透明の場合、色を塗らないと始まらないのであるから、”色を塗るよ このままで”、となる。
つまり、おそらくつのごうじ=透明としている。
<つのごうじ=透明>をほぼ確信したのは、以下のツイートである。
無色透明地震すりぬけて門
— つのまいさ (@kome_suck) 2011年3月15日
透明だから門をすり抜けるのだ(若干強引な読みだが)。このツイートは「世紀末」に反映されているように思う。
“大通りを大魔神が練り歩く
ビルもみんな潰されても
あいつだけがくぐりぬけるラッキーだな、助かったな、
君は見当たらない”(「世紀末」)
透明のつのごうじだけがゲートをくぐり抜けるが、”君”=音楽をやっていた父は戻ってこない、という意味ではないか。
ところで『透明なのか黒なのか』とあるように、透明or黒なわけで、津野=透明or黒、つのごうじ=透明or黒とも読める。
これはのちの『熱唱サマー』の一曲目、「カメレオン」で、”本当の自分なんて透明もいいとこ”とあるように津野=透明の場合もあるようだ。