ランドリーの夜

津野米咲は明らかに円環、または輪廻を意識している。それは初期から一貫している。実家にあったらしい『火の鳥』から発想を得たのではないか。根拠は薄いが、「UNITE」について『火の鳥』のロビタをイメージしたと言っていること、『公園デビュー』のジャケット製作時に<輪廻転生>に(おそらく)津野が言及したことなどから(ベビーカーから火葬場へ行きベビーカーに戻る)。

火の鳥』の物語は、円環構造をなしている。作中の時代においてはもっとも先の時代を描いた「未来編」のラストは「黎明編」に回帰する構成になっており、作品自体が輪廻を無限に繰り返すような作りにもなっている。

火の鳥 (漫画) - Wikipedia

未来編のラストは黎明編に回帰する。

主人公のナギの父親は重病に罹患していた。もし上空にある「血の星」という星が沈むまでに父の病が完治しなければ、村のしきたりにより父親は村人たちに食べられてしまう。悩みぬいたナギが長老に相談すると、父親の病気を治すには「火の鳥」という鳥の生き血が必要と教えられる。ナギは火の鳥を訪問し、運良く生き血を貰う。しかし、ナギが村に帰る頃には「血の星」はすでに沈み、父親は村人に食べられてしまっていた。

上は「黎明編(漫画少年版)」のあらすじである。これは一般的に流通してる版ではないので、根拠としては弱いのだが、
1,過去、父が生き急いで、雪崩れていった(「今更」)が、津野は幼くてなにも出来なかった
2,<未来>にたどり着いて、黎明期に回帰し、星が落っこちる前に救済をやり直す

というテーマが赤い公園にはあるように見える。

 

例えば「きっかけ」において、

“もういいかな

星屑も落っこちちゃった”

とある。この曲は赤い公園の“きっかけ”でもある父の救済が、なにかしらの出来事があり不可能になった。それで津野は音楽をやる“きっかけ”を失った。ゆえに今はゴミの日くらいしか生きる理由(きっかけ)がない、という曲に読める。

同じく活動休止の時期に作られた「デイドリーム」。

“止まったままの青い信号

曲がり角も見つからない

淡々と駆け抜け

風景を踏みつけてく

嵩んでばっかのデータに埋もれ

裸眼の奥に焼き付いてる

秒針が遠くなる

ふとした真昼中の

デイドリーム”(「デイドリーム」)

“止まったままの青い信号”はおそらくパークの青いネオンのこと。これは“進めの青”(急げ)でもあるとも読める。ランドリーに戻ってきてしまう津野に対して“とっとと行きな”(ランドリー)というのもパークの青であるのではないか。

しかし、父の復活という目的が不可能であるとなった今、自分の作る音楽はただのデータに過ぎない。パークの青信号にせきたてられて音楽を使っても、ただただ無意味なデータが嵩んでいくだけである。“リンゴをかじるジャンキー”(「ジャンキー」)である津野はいつでもパソコンで音楽を作っている。歌詞を見ればわかるように中期は父関係なく音楽を楽しんでいたのは明らかなので、津野が音楽を作る理由が全て父という意味ではない。

ではパークの青信号はどこへ行けというのか?<未来>である。もちろんそれは過去でもあり、ランドリーに再びたどり着くはずである。そこが“番狂わせの未来”(「贅沢」)であるなら、父は復活するかもしれない。または「想定外」(津野のヘッダー)が起これば。

<未来>にたどり着き、<黎明=アメリカンハウスの日々>に回帰して、雪崩れいく父親を救済できるかもしれない。

そもそも『火の鳥』が関係なくとも、円環を描いてたどり着く<未来>はランドリーの日々である。『火の鳥』が元ネタである、という主張ではなく、発想を得たのでは、という主張をしていることに注意。

 

『THE PARK』のアー写において津野はランドリーにおそらく円環を描いたのちたどり着いている。

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ランドリーの前

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フェンスに<DO NOT ENTER>の看板(ランドリー跡は立ち入り禁止区域。今も一部フェンスは残っている。「交信」について津野は「立ち入り禁止の看板」に言及している)、そして<transportation>の文字。

アメリカ軍は新滑走路から東側を極東航空資材司令部(FEAMCOM - Far East Air Materiel Command、 FAC 3011、通称フィンカム基地)、西側を極東空軍輸送飛行場(FAC 3012)とした。

立川飛行場 - Wikipedia

「輸送」は英語で<transportation>であり、ランドリーは西側地区にかつて存在した(有名なのは東側のフィンカム)。

ここで気になるのが、背景が夜であることだ。ランドリーから始まって(“とっとと行きな”「ランドリー」、または「公園」のヘリコプターの音=立川飛行場)、ランドリーに戻ってきてるのであるが、ランドリーは『純情ランドセル』のジャケットに相当するように見えるからである。

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・角(津野)に跨る津野米咲ブレーメンの音楽隊

・後ろから差し込む白い光=『ランドリーで漂白を』

・開発されていない森

ブロッケン現象

太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光現象。

ブロッケン現象 - Wikipedia

背後から光が差し込み、霧のようなものがあるので、ブロッケン現象なのだろう(この構図だと私たちからは虹は見えないが、津野には見えるはずである)。

「yo-ho」では以下のように描写される。

“森が呼んでる

それはいつでも

心の奥の霧の先にある

brocken spectre 光って

無邪気なまんまで笑って”(「yo-ho」)

出だしは“遥か昔のように思える 王様だったころ”。心の奥の霧の先にある森はランドリーのことであろう。ランドリーは開発されるまでは30年放置された森だったのだし、津野は繰り返し幼少期について自分を支えるものとして語っている。

 

しかし、たどり着いたランドリーは夜である。おそらく最初からその設定であったように見える。なぜ<夜>なのだろうか。

 

[追記]

アメリカンハウスの家族での演奏会のあとに、夜のフェンスの前でアー写撮影のようなことをしていたそうです。