「交信」/赤い公園

この文章は長いので全部を読むのは疲れると思う。前半は「交信」について、後半はバンド名「赤い公園」の(おそらく)本当の由来について。もし由来だけ気になるならそれだけ読んでいただいて構わない。

1「交信」

”万華鏡は月へ向いた
神聖な友を待たれよ
先生もパパもママも
寝かしつけて来たぜよ
雑草はブレーメンのように
神聖な友へ導く
耳を澄ませたぼくらだけに聞こえた”(「交信」)

 『公園デビュー』で一番好きな曲。自分は津野米咲の実存が詰め込まれてる曲が好きだ(「私」「透明」「木」「ランドリー」など)。彼女の実存はかなり類を見ないものだし、そういった人が表現者になる可能性は相当少ない。アーティスト業はキツいから。それにそれを表現できる能力を持ち合わせている場合もかなり稀であるはずだ。

津野の場合、それだけでなく歴史まで入れてくるからさらに面白い。たいていの言葉はダブルミーニング、ときにトリプルミーニングである。

 

では「交信」について考察していく。まず彼女が出した「交信」のヒント集から。

ヒント①

 

 「交信」は昔、家族で住んでいた家とか、学校に行く途中の“入っちゃいけません”って札が掲げてある森とか、そういう絵が断片的に並んでいる曲”らしい。このヒント①はその森の雑草のことだろう。

 

ヒント②

 

 ②は『ブレーメンの音楽隊』であろう。

以下あらすじ。

あるところに働き者のロバがいました。しかし歳を取って仕事ができなくなると、飼い主から虐待を受けるようになってしまいます。そんな日々に嫌気が差したロバは、ブレーメンに行って音楽隊に入ることを決意。脱走をします。

ブレーメンへ向かう道中で、同じような境遇に悩んでいる犬や猫、鶏に出会いました。彼らもロバの意見に賛同し、4匹は一緒にブレーメンを目指します。

日が暮れたのでそろそろ休もうとしたところ、森の中に灯りのついた家を見つけました。中を覗いてみると、なんと泥棒たちがごちそうを食べながら盗んだ金貨を分け合っています。

長旅でお腹がすいていたロバたちは、泥棒たちを追い出してごちそうを食べられないかと思案しました。

そして、ロバの上に犬、犬の上に猫、猫の上に鶏が乗り、窓の外に立って一斉に大きな声で鳴きはじめたのです。シルエットを見た泥棒たちは、お化けが出たと勘違い。家から飛び出していきました。

こうしてロバたちは無事にごちそうにありつくことができたのです。

しかし、やっぱりお化けが出るなんておかしいと思った泥棒たち。もう1度家に戻ることにします。灯りが消えて真っ暗な家に忍び込みました。

それに気付いたロバたちは、一斉に泥棒に襲い掛かります。ロバは蹴り、犬は噛みつき、猫は引っ掻き、鶏はくちばしで突っつきました。暗闇のなかで襲われた泥棒たちは、やっぱりお化けがいると信じ、家に戻ることを諦めました。

ロバたちはその家が気に入り、そこで音楽を演奏しながら楽しく暮らしたということです。*1

 

ヒント①と②は以下の部分に該当する。

”雑草はブレーメンのように

神聖な友へ導く”(「交信」)

 

ヒント③

 

ヒント③と④はこの部分に該当する。

”万華鏡は月へ向いた

神聖な友を待たれよ ”(「交信」)

 

 津野にとって月や星のイメージは大事らしく重要な曲において頻出する。『津野米咲さんへの手紙』で書いたのを以下に引用する。 

月や星を見ながら会話していた幼少期(「交信」)、いつしか星と話すことができなくなり、ただ見つめていた高校生の頃(「おやすみ」)、絶望の中、星も墜落してしまい、死の誘いと戦っていた活動休止期(「きっかけ」)、そして最新の「pray」では集めた星屑を”君”に与えようとしている。

 

「交信」にも「pray」にも”万華鏡”と”星”が出てくる。

”集めた星屑

喜んでくれるかな

くるくる回した万華鏡”(「pray」/赤い公園

 

このように津野の歌詞はほぼ捨ての言葉がないといっていい。細かくみて読み解いてみるのも面白いはずなのでぜひ。

ラストヒント。

 これは”朝日”であろう。朝日は「曙」でもあり、その反対は夕日、つまり「オレンジ」「ショートホープ」の”橙の街並み”などである(これも『津野米咲さんへの手紙』で詳しく書いた)。

 

 

”トトトツーツーツートトト”はモールス信号でSOSに該当するらしい。この人形は彼女が幼少から大事にしている「くまりん」。「くまりん」がジャケットになっている『ブレーメンとあるく』は彼女がその頃、くるりの「ブレーメン」をよく聴いていたから、とどこかで読んだが彼女のいうことを簡単に信じてはいけない。たいてい他の意味が2、3個隠されている。彼女はKOIKIな女なので自分からはそういうことは絶対に言わないのだけど。

つまり”ブレーメン”とはおそらく幼少の頃、アメリカンハウスで一緒に音楽を奏でていた家族のことだろう。それは『ブレーメンの音楽隊』の物語のラストと一致する(今度読んでみる)。

 

・親が作曲の仕事をしていたので、カーペンターズビートルズアース・ウインド&ファイアースティーヴィー・ワンダーなどいろんな音楽が家で流れていた。音楽が鳴ってない日はなかった。(「ミュージックマガジン」2014年4月号)
・小さいころから(お父さんがかける)音楽を聴くのが好きで好きで仕方がなくて、クラシックもポップスも片っ端からいろんなCDを聴いて、鼻歌でうたって、鍵盤を弾いて。そこに自分が参加できないのが幼心に悔しかった。CDの音量と自分が弾く鍵盤の音量が合わないことに「イーッ!」ってなって、それからEQというものを覚える。(「NEOL」

古めのアメリカンハウスで5LDKくらいの大きい家。グランドピアノやギター、ベース、アンプ、時には生ドラムもあった。上の兄がギターで、下の兄がドラム、父がベース、母がピアノを弾いてセッションをしていて、私は何もできなかったからリコーダーを吹いていた(カスタネットを叩いてた、と語っていることも)。(「cast」2014年49号、「セブンティーン」2013年9月号)

 

ついさっきまで「交信」におけるSOSは、幼少期は感性が豊かであり、月や星と喋ったりできた、そんな頃に戻りたい、という意味だと思っていた。これも一つの意味だろうけど。”先生もパパもママも寝かしつけて来たぜよ”とあるから、子供が一人で夜中に家を抜け出して月や星とおしゃべりしている風景を想像していた。

しかし例によってレッパーさんのnoteを読んでいると”昔、家族で住んでいた家とか、学校に行く途中の“入っちゃいけません”って札が掲げてある森とか、そういう絵が断片的に並んでいる曲”とある。

あぁこの曲のSOSはアメリカンハウスの日々へのSOSでもあるのだな、と気づいた。

「立ち入り禁止の森」=ランドリー跡地だよね。跡地は30年くらい放置されて希少動物が出るような森だったらしいし、昔は横断歩道があり、そこにフェンス(”立ち入り禁止”)があるっていう変な場所だったらしい。詳しくはこれを。

koennikki.hatenablog.com

 

”雑草”≒ランドリー跡地の森≒アメリカンハウスの日々だよね。

”閉まって開かなくなったかい”も幼少期の感性豊かな世界への扉の意味だけじゃなく、やっぱり「ランドリーゲート前の行き止まり風景」そして「アメリカンハウスの扉」の意味も含んでるはず。 

 

”朝日に嘲笑われたって拭えばいい 

もう一度はじめよう ぼくらのよる”(「交信」)

 

一番好きなところ。米咲ちゃんらしさが出ている。

 

 

2 「赤い公園」の由来

 では「赤い公園」の由来について書いていく。

4月か5月、オリジナル曲をやりだした頃、ちょこ坊というバンド名がダサいと思っていたので「怪獣公園」という名前にしようと思ったがすでにいた。新しいバンド名について仲の良いバンドのボーカル(The モラトリアムスパゲッチーズの将太さん)に「なんとなく公園ってつけたいんだよね」と相談したところ、「赤い公園でいいんじゃない?」「俺のおばあちゃん家の団地の目の前に赤い公園っていうのがあって。まあその赤い公園っていうのも俺が付けたんだけど」と言われ、バンド名を「赤い公園」とする(レッパーさんのnoteより)

「ランドリー」の記事で、今はなくなってしまった立川基地のランドリー、現在は「富士見通り」に改名されたバス停「ランドリーゲート」などについて書いた。

さっきちょっとTwitterを見ていたら、こんな画像を見つけた(引用の許可を頂いた。ありがとうございます)。

 

この「ホテルPARK」、グーグルマップで見ると富士見通りを挟んで元ランドリー前のバス停(柱があったところ)のちょうど逆側に位置している。逆車線ならば全く同じ位置。じつは自分は富士見通りを一本間違えていて、以下の地図の右の通りを何回も往復していた(夜のこの通りはかなりヤバい雰囲気)。間違いに気づいたときには時間が遅かったから、富士見通りはじっくり見ていなかったのだ。

 

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津野米咲マップ

アメリカンハウス

②元ランドリーゲート(現富士見通り)バス停

③ホテルPARK

④残堀川

 

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ホテルPARKと元「ランドリーゲート」のバス停

 

津野の発言「なんとなく公園ってつけたいんだよね」っていうのが前から気になっていて、なぜなら津野はどうみてもインドアで、公園で元気よく遊ぶ女子という感じがしないから。彼女の曲を聴いていても「夜の公園」くらいしか”公園”のイメージはない。なんでその名前付けたの?と聞かれると「いやー深い意味ないんですよねー」と毎回はぐらかしている。しかし彼女がバンド名という最も重要なことをてきとうにつけるとは考えづらい。

 

この記事では「赤い公園」の名前の由来について新しい一つの仮説を提唱する。

その前にいったん今までの「赤い公園」の由来の説をまとめる。

A .The モラトリアムスパゲッチーズの将太さんのおばあちゃんの住む団地の目の前の赤い公園からとられた
B .立川の南口にある「鬼公園」からとられた
C .そもそも由来はない

そしてこれらに対し自分はもう一つの仮説を提唱したい。

 

D .赤い公園の「公園」は旧「ランドリーゲート」の反対にある「HOTEL PARK」からとられた

 

ではこの仮説をもとに以下の文章を書いていく。

はじめに『透明なのか黒なのか』のオープニング「塊」の最初の音について。これ、カセットテープの音に聞こえる。『ランドリーで漂白を』の「何を言う」の最後も同じ音で終わる。

これはどういう意味だろうか。

おそらくこうではないか。このカセットテープの「カチャ」というボタンを押すのは津野である。そして再生が終わってそれを取り出すのも津野である。

 

”いつかマミーが言ってたよ
キッチンに漂う
ミンチを炒めるお砂糖と醤油の匂い
おかわり!ごはんの匂い

サンサーンス!
せまいせまい心を持って妬んでいるんだ
愛してくれる君も君も
駄目になっちゃえばいいんだなんて思ってるの”(「何を言う」)

 

「ランドリー」がバンドサウンドで父の曲だとすると、その次の「何を言う」は母の曲である。”サンサーンス”は母が好きなクラシックの人。だから母の曲においてはピアノだけとなる。

”津野さんは以前この曲について「お休みを引き受けてくれたベースとドラムにとっても感謝している」”と言っていたらしい*2

この間に挟まれるインタールード「Children go home with the crow」は扉が開く音と閉じる音が入っている。これは「アメリカンハウス(父の家)」から「母親の家」へという意味ではないか(扉の開いている時間が異常に長いからたんに母親の家に帰ってきたという意味ではないはず)。

”Children go home with the crow”は童謡「夕焼け小焼け」の”皆かえろ烏(からす)と一緒に帰りましょう”のこと。これは立川の5時のチャイム。それを意識するのはいつまでだろうか。せいぜい中学までであろう。

 

カセットという古いものを、津野がスイッチを押して聴いている。つまり黒白盤の音楽は過去に関するものなのだ(全てではないが、そのような構成を意識している)。特に「ランドリー」と「何を言う」は。それらは父の歌であり、母の歌である。津野家は高校の途中からみんな独り立ちしてゆき、津野はその頃から一人だったらしい。

 

次のアルバムは『公園デビュー』であるが、デビューがこのアルバムだとすると『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』はデビュー前となる。

例えば『ランドリーで漂白を』のインタールード「Children go home with the crow」は『公園デビュー』の「贅沢」においてこうなる。

”チャイムがなったらなったで家に帰る
カラスと一緒にってのは気が引けるけど”(「贅沢」)

 これはもうカラスと一緒に帰らない=もう大人だから5時のチャイムで帰らない、ということだろう。次に『公園デビュー』のラスト「くい」。

”劣等生は窓の外
ホテルきらきら

午前二時、帰り道
福生の方の赤い空
孤独だ!”(「くい」)

前半はピアノ教室に通っていた頃の風景である。以下レッパーさんのnoteから引用する*3

津野さんが幼少期について語る時「ピアノ教室で劣等感を感じてて、ずっと窓の外のラブホテルを(そうとは知らずに)眺めてた」

 とどこかで言っていたらしい。

この曲に関しては、津野さんのライナーノーツにかなり歌詞を読み解くヒントがあります。けどまんま載せるわけにもいかないので要約すると、バイト帰りに一人きりの部屋に帰ってきて、過去を思い出して孤独を噛みしめる、ということ

 バイト帰りの帰り道に福生のほうをみると空が赤い。おそらく基地であるゆえ深夜でも照明灯が煌々と光っているのだろう。

しかしそれだけだろうか。これは『公園デビュー』のラストであり、バンドにとって大事な曲らしい。ゆえに津野はいろいろな想いを込めているはずである。 

”劣等生は窓の外
ホテルきらきら”(「くい」)

幼少の頃、ピアノ教室から眺めていたラブホテル。”劣等生は窓の外”。これは過去の思い出である。しかし『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』が過去に関するアルバムだとすると『公園デビュー』では過去ではなく「誕生」、つまり現在の要素が含まれているはずだ。それを念頭のおいてもう一度この歌詞をみる。

 

”劣等生は窓の外”。その直後にラブホテルの風景。ラブホテルから外に出る。時間は午前2時。「宿泊」ではなく「休憩」だったのだろう。なぜならちゃんとした彼氏彼女の関係ではないから。優等生ではなく、劣等生だから。

少女から大人の女へ。ホテルの一語でこの移り変わりを表現している。

”毎晩内緒で時計の針をずらす
その他に抜け出す術がないので
チャイムがなったらなったで家に帰る
カラスと一緒にってのは気が引けるけど”(「贅沢」)

ラブホテルの終了10分前の電話が鳴る。『ランドリーで漂白を』では”Children go home with the crow”つまり5時のチャイムで帰っていた津野は、『公園デビュー』では帰るのはラブホテルのチャイムである。彼には内緒で”時計をずらす”。終わりの時間が来て欲しくないから。

そんな愛しい彼は「白馬の王子様」ではない。

”ぼやっと現れるは白馬に
蹴っ飛ばされてる殿方さ”(「贅沢」)

「白馬の王子様」のような優しい、かっこいい、運命の相手ではない。

”ほんとは知ってる
神様も私も
これ以上の幸せが無い事を
ちゃんと願ってる”(「贅沢」) 

「あーあなんでこんなダメ男好きになっちゃたんだろ」と思いながらも、白馬から蹴っ飛ばされてる=白馬に乗ってない男との日々がこれ以上幸せはないと知ってる。

”楽しいを思い出す
たくさんの贅沢だね”(「贅沢」)

この”贅沢”は次の曲「くい」においてこうなる。

”お天気に文句を言って
雨粒を避けて
まだまだ贅沢したいよ”(「くい」)

雨が降っている。そこで津野はこんなことをいう。

「あーあ、雨って嫌だなあ。濡れちゃうし」

それを聞いた彼はこういう。

「じゃあ、ホテルで休んでく?」

津野は曖昧な表情をする。しかし心の中ではこう思っている。”まだまだ贅沢したいよ”*4

 

白盤に収められた母の曲「何を言う」の最後で、ガチャっと津野はカセットテープを取り出す。

ランドリーゲート=父についての曲「ランドリー」もデビュー前の白盤に収められている。ゲートのちょうど反対にあるホテル「PARK」。それを津野は自身のバンドにつける。

公園デビュー』とはつまり「PARK」の誕生、父と母から自立した津野米咲の新たな誕生を意味しているのではないか。

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シングル『今更』

 

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公園デビュー

 

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『猛烈リトミック』ではメンバーがリトミックしている

 

『ランドリーで漂白を』の「Children go home with the crow」、つまり5時のチャイムで帰る家には母親がいる。キッチンからミンチを炒めるお砂糖と醤油の匂いが漂ってくる。幼い頃、ピアノ教室に通っていたとき、すごくいいオリジナル曲を作れたのに、先生に「ドとシを一緒に鳴らしちゃダメ」と怒られた津野。出る杭は打たれてしまう。両親に「これはおかしいの?」って言ったら、「おかしくない、そんな教室やめろ」といってくれた父親ももういない*5

公園デビュー』においては彼女が帰る家には、彼女しかいない。

 

”はいはいしたらちっとも進まない
腑抜け顔を洗って
凍てつくランドリーの前
とっとと行きな
今夜だけなら逃しちゃって”(「ランドリー」)

”とっとと行きな”と自分に語りかける津野はまだランドリー前にいる(『ランドリーで漂白を』の「ランドリー」)。しかし過去にとどまるのをやめて津野は走り始める(『公園デビュー』の「今更」)。

”バックオーライ
そう皆様
遠のいてった君に
振り向いてって言えるかな今更
聞こえるように叫ぶから”(「今更」)

この”遠のいていった君”は父親のことではないか(前からこの”君”が気になっていた。このブログの最初の記事は「今更」なのだが、それを読んでみてください)。

なぜそういえるか。これはデビュー前にすでにあった曲らしい。その時点(おそらくデビューが決まっているくらい)において津野はトップランカーである。なのになぜ「今更」なのか。”置いてけぼりの私に走る気はないさらさら”もおかしい。他の同世代を置いてけぼりにしている側だからだ*6

 

以下は「今更/交信/さよならは言わない」発表時のラジオでの発言。

◎タイムマシンがあったら行ってみたい場所は?
津野:若い頃の父に合いたいです。
クリス:あんたポエットやね。なぜ?
津野:父も音楽をやるんですが、今私が21歳なので、21歳の父に会って勝てるかどうか勝負したいです。
クリス:プロでやってたの?
津野:そうです。戦隊ものの音楽とか作ったりしてました。そこが私のルーツでもあると思います。J-WAVE WEBSITE : TOKIO HOT100

 

そして「今更」のPVの最後、走る津野は、いつしか幼い少女に変わっている。そしてこのPVのラストは「交信」のPVのオープニングへと繋がる。幼少期へのSOSの曲へ。

そして三曲目の「さよならはいわない」の歌詞。

 

”ずっと楽しかったね

あの頃まわりのすべてが
やさしくいつも僕らを

つつんでいるように見えた”(「さよならは言わない」) 

”たとえ このまま 会えないとしても
思い出に そして 君に
きっと さよならは 言わない
決して さよならは 言わない”(「さよならは言わない」)

 

さらにもう一曲取り上げたい。4thシングル「絶対的な関係 / きっかけ / 遠く遠く」の「遠く遠く」。他の曲はプロデューサーに亀田誠治、エンジニアに井上うにを迎えているが、これは津野米咲プロデュース。

 

”遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい”(「遠く遠く」/槇原敬之

”僕の夢をかなえる場所は
この街と決めたから”(「遠く遠く」/槇原敬之

 

じつは「ランドリー」の記事において事実誤認をしており、おそらく父親の実家は大阪である。しかしアメリカンハウスは父親の系譜に属することはたしかなので、論旨に変更はない。父(つのごうじ)は音楽家という職業柄からアメリカンハウスに住むことを決意したのだろうし、その音楽家という職業は彼の父(津野米咲の祖父)から引き継いだものだから。

 

「ランドリー」の”どっちの柱についてもけっこう”は高校卒業とともに大阪(多分祖父の家)に引っ越すことになっていたが、赤い公園の活動が楽しくなり、”この街”に残ることにした、という意味も含んでいるのだろう。”僕の夢をかなえる場所はこの街と決めたから”。

”どっちの柱についてもけっこう”には「ランドリー」から、通りを挟んだ「PARK」つまり「赤い公園」へ、という意味もあるのかもしれない(おそらくこれが真意)。

 

次に「もんだな」の歌詞。

”開かないな 足らないな
さらばの門 重たいな
手伝う男はもう居ない
染みちゃうな
忘れたいな
しつこいな?
うるさいな!”(「もんだな」)

”さらばの門”はランドリーゲートのことだろう。

この「ゲート」のモチーフは最近の曲「sea」でも出てくる。

”宝物をわけるから
お帰りくださいお嬢ちゃん
ゲートが開くその時まで
明くる日も明くる日も”(「sea」)

”最後の一つわけるから
お帰りくださいお嬢ちゃん
ゲートが開く音がする
ここは海 あの人自体”(「sea」)

 ゲートは出てこないが、込められた意味においてリンクする曲、『THE PARK』の「ソナチネ」の歌詞も載せておく。

”地図のない散歩にはささやかな理由がある”(「ソナチネ」)

”ずっとずっと離さないでいてね
きっときっと私たちは大丈夫
肩とポッケの間にくぐらせたぬくもり”(「ソナチネ」)

”見つけ合って寄り添った
昔一つだった石のかけら
干からびた川のことを
あなたの海は知らないでしょう”(「ソナチネ」)

”そっとそっと拾い集めるように
たどって歩いて忘れたくないから”(「ソナチネ」)*7

 

おそらく津野はこの遊歩道を幼い頃、父親と散歩していたのだろう(”地図のない散歩”なのだから。知っている街を歩いているはずである)。「ソナチネ」は川沿いの遊歩道を散歩していたときに思いついたらしい(フォロワーの方に教えてもらった。ありがとうございます)*8

 

 

 

この”ずっとずっと離さないでいてね きっときっと私たちは大丈夫”は父親の手でもあるが、やはりメンバーの手でもあろう。というより父親の手に引かれれば、津野はゲートの向こうへ行ってしまうはずである。

今までの記事においても、他のメンバーのことはほぼ書いていないが、彼女にとって何よりも大切だったのは赤い公園とそのメンバーだったようにみえる。しかしツイートとかYoutubeの動画を引っ張ってきて、彼女たちの関係について何かを書くのは変だからそれについては書かない。

 

ところで彼女の使う言葉たちは父のまわりをぐるぐると巡っている。しかし彼女は恐ろしすぎて直接それを口にすることができないのだろう。例えば”ばいばい”。「ランドリー」の”はいはい”はおそらく”ばいばい”から思いついたのではないか。そこから”解体”を思いつく。

さらに「ショートホープ」の”橙”も”ばいばい”から思いついてるように思う。2回目のサビは”バイバイできない”であるが、意図的に”だいだいできない”に近づけて発音することで”代替できない”を連想させる(ずっとこっちで聴いてた)。かなり細かいことをいろいろやっているのだ。

 

消えゆくランドリーゲート(そしてそれは父との、家族との”ブレーメン”の日々でもある)について歌った「ランドリー」。それをタイトル曲にした『ランドリーで漂白を』から『THE PARK』へ。

今はもうないアメリカハウスの日々のことを考えながら、凍てつくランドリーの前に一人佇んでいた10代の津野米咲

その”ランドリー”の反対にある「 HOTEL PARK」から”公園”の名をとる。それは消えゆく父親の系譜を引き継いでいくぞ、残堀川のようには水を絶やさないぞ、しかし私はもう存在しない「ランドリー」の前にいつまでもとどまるわけにはいかない。だからほとんど同じ場所であるが、その向かいにある「PARK」として、「赤い公園」として新たな歴史を始めるんだ*9

大事なのは、変わってくこと、変わらずにいることなのだから(「遠く遠く」)。

  

家族は、ランドリーゲートは、アメリカンハウスは消えていってしまった。

しかし、最初は”津野の音楽を表現するバンド”の感が強い赤い公園は、だんだん家族のようになってゆく。

 

ちなみに3人の関係、つまり藤本(ひかり/ベース)さんと歌川(菜穂/ドラム)さんとはどうですか? 何か変わりました?


「うーん、どうだろうな……自分だけのことで言うと、私がすごく相談できるようになりましたね、2人に」


どうして?


「わかんないけど、やっぱり3人になった時はズタボロだったし、それでもこうして今もバンドをやれてるし。だから…………月並みですけど、家族っぽくなった気はします」

 

 

ズタボロになった津野さんを2人は支えてくれました?


「支えようと2人が一生懸命になってる事実が支えになってる感じ。これ、わかりますよね?」


支えようとしても実際には支えになってない、ということですよね。あの2人だから容易に想像できます(笑)。


「空回っているのも目に見えるでしょ? でもそれがすごく支えになってました。だから〈家族だから大好き〉っていうよりも、家族だからこそお互いイラっとくることもあるんだけど、もうさすがにこの2人とは切れないだろうなっていう縁みたいなものは感じるようになってきたかもしれない。それに関しては私だけじゃなくて、ひかりも菜穂も同じように思っているって言い切れるぐらい」


そういう意味で家族っぽい感じだと。


「家族っぽくなったし、理子もああ見えてすごく懐っこいんで。しかも人のことをよく見てるし、私たち3人の感じもすごく感じ取っていて、自ら心を開いて入ってきてくれようとしてる。それが3人にとって嬉しくてしょうがないっていう」


ところで昔、インタビューで津野さんのご家族の話をしましたよね。家族で一緒にいる時間だったりイベントっていうのが極めて少なかったと。


「あぁ、少なかったですね」


そういう家族のあり方が背景にあるからこそ、自分にとってバンドは音楽どうこうよりも人との繋がりだったり自分の居場所を求めてしまうっていう話をされて。


「ということは……もしかして今はそういう繋がりを得られたのかもしれないですね」


同じことを今の話を聞いて思いました。


「そもそも学生の時は、友達を作ろうと思ってもそう簡単にできるものじゃなかったのに、好きな音楽とかバンドをやってたら……メンバー、スタッフ、お客さんもそうだけど、友達がいっぱいできた感じがして。だったら私の居場所っていうのは、学生時代のあそこじゃなくて、ここなんだな……って今でも信じちゃうんですよ。私がいてもいい場所に来れたんだなって思うんです」


自分の居場所はここだと。


「だって音楽以外に私の居場所なんてないから。休みの日も音楽の仲間と呑んでるし、ライヴハウスで人のライヴをずっと観てるし。私にとっては仕事もプライベートも音楽しかない……ってことなんじゃないかな」


あと、さっき自分でメンバーのことを家族っぽいと言いましたけど、友達からさらに深い関係になってるってことなんじゃないかと。


「あぁ……あの、すごい不思議なことに、理子も含めて、4人全員で何かの感覚をシェアしてるというか。4人で〈赤い公園ちゃん〉っていうひとつの容れ物を共有してるんですね。もちろんそれぞれが他人であるっていう感覚もすごく大切なんですけど、それと同時に相手のことを同じ容れ物の中にいる人間として自分のことのように感じているというか……なんか話がヤバい方向に行ってるけど」


容れ物というのは津野さんにとって家だと思うんです。で、メンバーはその一家。


「家かぁ。そうかもしれない」”

ongakutohito.com

*10

 

最新のアルバムは『THE PARK』、つまりセルフタイトルである。

「透明」において、自己が透明でどうしようもなく、”名前を呼んで”としかいえなかった10代の津野米咲(しかし2回目の”名前を呼んで”は”名前をいうんだ”にも聞こえる)。

”誰みたいに何みたいになれたかななれるかな”と思っていた彼女(「木」)。

そんな彼女はついに自分でもある「赤い公園」の”公園”の名をアルバムのタイトルにつける。それはランドリーゲートの向かいの「PARK」でもある。

『THE PARK』。これが私だ。私を聴いてくれ。

11曲そろって、タイトルは『THE PARK』になってます。セルフタイトルですよね。

津野 そうですね。レッドパークっていう言葉は用意してなくて。なんか『THE PARK』っていうのがよさそうだなって。

藤本 もともと米咲のアイディアだったんだよね。いつかこのタイトルをって。

津野 そう。あっためてたタイトルですね。いつかセルフタイトルやりたいっていうのは、バンドをやってる人たちは思ったことがあると思うんですけど、今じゃないっていうのがずっとあって。でも、今回は出てきましたね。今だろっていう。今回、赤い公園チームは、メンバーもスタッフも、誰からともなくファーストファーストって言ってて。この4人で初めてアルバムを出すことには違いないし、気持ち的にもファーストだってずっと思ってたんですね。もともと私たち全員本名なんで、想像でしかないんですけど、芸名をつけて活動していたのを本名に改名して活動を始めるっていう感覚に近いかもしれない。セルフタイトル出して、表面と内面一体で、たとえ不格好になろうともすべて受け止めて進んでいきますよっていう気持ちなんですよね、自分ごととして。「曙」の歌詞でも書いてますけど、そういうことなんだろうなと私は思ってますけど。”

tokyo.whatsin.jp

  

「PARK」は、「赤い公園」というバンドは、「ランドリー」のようには絶対に消さないぞ、もう一つの「家族」は私が消さないでいつまでも残してやるぞ。そして、私を絶対に消さないぞ。

「消えない」の最後の言葉、”こんなところで消えない 消さない”にはそんな津野の想いが込められているのかもしれない。

 

少し暗くなってしまったが、いろいろ注意しなくてはいけないことについて。

まず「sea」は個人的に赤い公園のなかで一番恐ろしい曲と感じる。

ゲートが開いている。その向こうに”海”=”あの人自体”がいる。彼女はゲートの向こうに行ってしまいそうになっている。行ってしまえば、”あの人”と”Unite”、一つに溶け合うだろう。

しかしこの曲は「絶対零度」のカップリングである。『THE PARK』にはあえて入れなかったのだ。それに「絶対零度」には次のような歌詞がある。

”アラバの海の真ん中
泳いでみせてきやしゃんせ
天と地を裏返してやれ”(「絶対零度」)

これはゲートの向こうの海(”あの人自体”)に入ってしまっても、”天と地を裏返”す、つまり「海=死」をひっくり返し、「海=生」へという意味であろう。

 

そして『THE PARK』の最後の三曲は希望に溢れている(「曙」は絶望の夜のあとに訪れる朝といった趣ではあるが)。とくに「yumeutsutsu」が最後に置かれていることに注目すべきだ。

”満点の会場はプラネタリウム
君の頬に星が流れる
未だに醒めない夢なら
本当にするしかないだろ”(「yumeutsutsu」)

津野において頻出する星のモチーフがここまで大きくなったことはないはずである。「交信」「pray」においては星は万華鏡のなかにある。しかし「yumeutsutsu」においては”プラネタリウム”に満点の星が輝いているのだ。その夢を叶えるべく、夢うつつ、つまり夢と現実の境がはっきりしないところにいたことは確かなのだ。”本当にするしかないだろ”とまでいっている。

 

最新シングル、「オレンジ/pray/衛星」もかなり遺言めいている(しかしこれらを遺言ととるべきでない理由については『津野米咲さんへの手紙』の注で書いた)。

だがここにも注目すべき点がある。この曲のインストを含めた時間の合計は20分21秒なのだ。

津野のことだから狙っていることは確実である。

おそらく彼女はこの暗い「よる」も乗り越える覚悟を持っていたはずだ。

 

私たちは津野米咲の残した音楽と向き合うことしかできない。

しかし彼女の川と少しでも交差した私たちは、それぞれの道を歩み、それぞれの川の流れを絶やさず進んでいけばいいのだとも思う。

 

残堀川のごとく流れが枯れてしまわないように、ランドリーゲートの向かいのPARKが消えてしまわないように、私たちは彼女の流れをいつまでも引き継いで行かなければならないのではないか。

 

www.youtube.com

 

 

 

*1:https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6948

*2:https://note.com/redpark/n/n193cf1d74695?magazine_key=m06f636d7ced2

*3:https://note.com/redpark/n/n9b9b0d3b9d44

*4:これだけでは終わらないのが津野米咲なのだが、長くなるからここに書く。「くい」はやはりセックスのことだろう。しかしそれは津野にしてはずいぶん単純な比喩である。これ、ほぼ確実に1950年代の「砂川闘争」の「土地に杭を打たれても、心に杭は打たれない」を引用している。津野の地元は武蔵砂川である。アメリカンハウスにせよ、その次の家にせよ。「砂川闘争」とは在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して、砂川町において1955年から1960年代まで続いた住民運動のこと。それ以前には1951年に横田基地を離陸したB29爆撃機が、砂川村に墜落して15名が死亡した事故、砂川村B29爆撃機墜落事故も起こっている。彼女が「ランドリーゲート」について考え、アルバム名にしていることから、このことは知っているはずである。それにおそらく砂川町で暮らしているなかで「砂川闘争」は自然に知ると思われる。歴史に疎い自分ですらこの名文句は知っていた。さらにこのランドリーゲート跡地は30年くらい放置されていたのだが、2007年に法務省から突然「国際法務総合センター」(医療刑務所)の建設案が出される。そして住民の反対運動(27000の署名が集まった)にもかかわらず、建設案は通された。そこで立川をレペゼンする津野は「くい」の題名をつけたのだろう。つまり”セックス””ピアノ教室の出る杭””砂川闘争”のトリプルミーニングである。津野米咲、さすが

*5:https://note.com/redpark/n/n06ad2d6448ae

*6:ここらへんは「曙」の”もう追いつけはしないと悟ったけれど それは弱さとは違うような気がした”とリンクしているように思う。自分は「曙」から遡って「今更」のこの部分が気になった

*7:直感だが「今更」の時点と、「sea」、「ソナチネ」の時点では事情が変わっている気がする。しかし「今更」の時点ですでにそうだったのかな、とも思う。そしてその日は雨で、その出来事の時間が恐怖の時間だから時計をずらすのかな、とも思う

*8:https://www.youtube.com/watch?v=kijEOULxC9A&t=823s

*9:彼女のJ-POPへのこだわりはここにあるのではないか

*10:もちろん佐藤千明も家族の一員であろう